【138年越し】みどりと信如、運命が再会させた“酉の市デート”|和風アニメPV
物語をより深く楽しんでいただけるよう、この記事の冒頭にBGMをご用意しました。
よければ再生しながら、ゆっくり『たけくらべ』の世界をお楽しみください。
信如(しんじょ)は、美登利(みどり)のことを、声に出さぬまま想っていた。
それは恋と呼ぶにはあまりに静かで、祈りに近い感情だった。
寺と檀家(だんか)という立場があり、信如は、己の心のままに相手を選ぶことを最初から許されていなかった。
誰かを想う以前に、選ぶという行為そのものが、彼には与えられていなかったのである。
美登利は遊女の家系に生まれ、学校では否応なく人目を引く存在だった。
整った顔立ちと、年齢に似合わぬ艶やかさ(つややかさ)は、男子たちの視線を集め、からかいと好意の境目を行き来するような日々を過ごしていた。

だが、彼女は軽く扱われる存在ではなかった。
生まれも育ちも、いわゆる良家の娘ではない。
それでも美登利は、自分には価値があると疑わず、胸の奥に誇りを抱いて生きていた。
それは誰かに与えられたものではなく、奪われることを拒むために、自ら選び取った誇りだった。
信如から酉(とり)の市(いち)へ誘われたとき、美登利の胸には確かに喜びが湧いた。
しかしその感情を、そのまま表に出すことはしなかった。
「誘われたから、付き合ってあげるだけ」
そんな素振り(そぶり)で言葉を返し、微(かす)かな距離(きょり)を保った。
信如は、その態度の裏にあるものを知っていた。
そっけない言葉や、突き放すような表情の奥に、彼女自身も持て余している繊細(せんさい)な感情があることを。
互いに、深い関係にはなれないことを悟っていた。
家柄(いえがら)も立場も、未来も、すでに別々の場所に用意されていることを、二人とも知っていた。
それでも、その先のことは考えないようにしていた。
考えたところで、どうにもならない未来よりも、
今、同じ道を歩けるこの一瞬の方が、あまりに静かで、あまりに美しかったから。
【え…!?】パジャマ姿でパンダを抱いたら、明治時代にタイムスリップしてしまった件
冒頭のBGMと同じものになります。
よければ再生しながら、ゆっくり『たけくらべ』の世界をお楽しみください。
ゆめりは、ひとつ下の学年の奏人(かなと)を、中学の頃から知っていた。
先輩と後輩。
それ以上でも、それ以下でもない関係だった。

高校に進学し、同じ学校に入学したことを知ったとき、ゆめりは、また話せるかもしれないと思った。
だが、奏人から声が掛かることはなかった。
ゆめりは、自分が好かれていることに、気づいていた。
それでも、自分から声を掛けることはできなかった。
相手を急かしてしまう気がしたし、何より、自分が責任を持てる性格ではないことを、ゆめり自身が一番よく知っていた。
それは弱さであり、逃げでもある。
だが、そういう人間がいることを、ゆめりは否定しなかった。
一方、奏人にも事情があった。
中学生の頃から部活動を通じて、かなのと親しくしていた。
周囲から見れば、二人は付き合っているように映っていたかもしれない。
かなのは、奏人のことを恋人だと思っていた節があった。
だが、手をつなぐことも、恋人らしい約束をすることもなく、奏人はただ、同世代の女子よりも丁寧に接していただけだった。
奏人自身は、かなのと付き合っているという意識はなかった。
ただ、誤解を解く勇気も、関係を断ち切る決断も持てずにいた。
ゆめりは、奏人とかなのが付き合っているものだと思っていた。
自分の入り込む余地などないと、最初から諦めていた。
それでも、奏人がこちらを見てくれたら、それでいいのに、と心のどこかで思っていた。
下町や酉の市で、奏人とすれ違ったときも、声を掛けることはできなかった。
ただ、視界に入る場所を歩き、どうすれば気づいてもらえるのかを、考え続けていた。

奏人もまた、距離を取っている自分に気づいていた。
かなのやクラスメイトの女子とは、何気なく話せるのに、ゆめりの前では言葉が詰まった。
気が合うことは分かっていた。
それでも、声を掛ける勇気だけが、最後まで出てこなかった。
ゆめりは、ふと思い立って歴史博物館へ足を運んだ。
特別な理由があったわけではない。
ただ、時間が余っていて、どこか静かな場所に身を置きたかった。
展示室の一角で、樋口一葉の『たけくらべ』を知った。
ガラス越しに並ぶ解説文と、色あせた資料を眺めているうちに、ゆめりの胸に、言葉にしにくい違和感が生まれた。

美登利と信如。
その距離感、その沈黙、その動けなさが、どこか自分と奏人の関係と重なって見えた。
もちろん、立場はまるで違う。
ゆめりは遊女の娘ではなく、どこにでもいる高校生だったし、
奏人も寺の息子ではなく、普通の家庭に育った少年だった。
それでも、二人は学校の中で、どこか特別な存在として扱われていた。
理由を問われても、はっきりとは答えられない。
ただ、そこにいるだけで、周囲の視線を集めてしまう、そういう種類の特別さだった。
美登利は絶世の美少女だったと書かれている。
現代に生きていれば、きっと派手ではないが、目を離せなくなるような顔立ちをしていただろう。
ゆめりは、そんな想像をしながら、自分のことを思い出していた。
奏人もまた、誰かに声を掛けられるタイプではなかった。
だが、視線を上げれば、彼の視界に入ろうと、わずかに位置を変える女子生徒が、いつも何人かいた。
家に帰ったゆめりは、畳の上に横になり、たけくらべの物語を思い返していた。
報われない恋という言葉が、胸の奥で、ゆっくりと重さを持ち始める。
苦しい、と感じた。
だからこそ、何も考えないようにして、深い眠りに落ちようとした。
そのとき、周囲が、静かに色づき始めた。
まぶしさではない。
空気そのものが、淡く、確かな色を帯びていく。
気づくと、ゆめりは、知らない町を歩いていた。
石畳、低い軒先(のきさき)、行き交う人々の足音。
それらは、たけくらべの中で読んだ、あの時代の街並みそのものだった。
夢だとは思わなかった。
かといって、現実だとも言い切れなかった。
ゆめりは、月影横丁を、ただ歩いた。
理由もなく、目的もなく。
その同じ通りを、樋口一葉もまた歩いていた。
彼女は立ち止まり、ふと空を見上げ、報われない恋の断片を、心の中で言葉にしていく。
それが、いつか物語になることを、誰も知らないまま。
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