レグルス王国の物語

🌍 文明更新の思想 — 否定しない創造の時代へ

私は多様性を理解し、受け入れています。

そのうえで──

人が“所有”を通じて、物を子供や恋人のように擬人化し、

痛みを麻痺させながら感情を失っていく文明も、否定はしません。

けれど一方で、

人の感情や痛みを理解し、共鳴する文明もまた、

ひとつの選択肢として提示していきます。

それが、レグルス王国の立場です。

#文明更新 #レグルス王国 #多様性の時代へ

人形には、家族も先生も友人も、学校の関係もない。

誰の嫉妬も評価も寂しさも背負わず、

経済的な不安も、他者の期待も、尊敬も必要としない。

——痛みのない、“自分だけが存在する世界”。

その構造は、人類が古くから続けてきた

**「所有を基盤とした文明」**の写し鏡でもある。

権力や富の象徴として、人を支配し、人形のように扱ってきた歴史。

所有は楽しい。

では、所有される側はどう感じていたのだろうか?

スマホを子供のように扱い、スマホに紐や布を纏わせて、育てるという宗教を始めた。

色により差別化を図り、ステータスとさせる。

そこは一種の文明の退化でもある。

文明が退化するとどうなるか?

人は機能性に身を任せ、感じることも考えることも失われていく。

そして楽しい、気持ちいいという快楽のみを求め続ける。

相手に選択を委ねて自らその選択肢の中から選び、相手が好まない選択をあえてし、相手を困らせる事で自分の存在を感じる。

自分には相手の選択よりも自分の選択に価値があると、そのものに価値を見出す。

それは、その人個人の問題ではなく、古来から続く支配の構造である。

人は物を所有し、所有することで価値を感じていた。

自ら表現する事をやめ、次第に感情も便利さに奪われて目の輝きが失われていく。

子供はゲームが無くても楽しく遊べる。

スマホがなくても景色を楽しむことが出来る?

それがなぜか考えたことはあるだろうか?

それは所有し、支配するのでは無く自然や人と共鳴し、心を育てているからである。

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